陶芸作家・大胡琴美さん ~世界の人々が大切にずっと使い続けてくれる器を~

イギリスの陶芸家、ルーシー・リー(Dame Lucie Rie)への憧れがすべての始まりだった。
デザイン事務所に勤務していた2年間、クリエイティブな仕事をしてはいたものの、日本のやきものが好きになれなかったためか、陶芸への興味は微塵も感じていなかった。そんなある日、偶然にも雑誌広告に掲載された、ルーシー・リーの個展の案内を見つけ、なんとなく惹かれた。
当時から著名な陶芸家ではあったが、名前も聞いたことがないくらい陶芸には関心がなかった。ましてや、住まいの東京から開催地の滋賀は遠距離ではあったが、気づいたら自然と足が個展会場を目指していた。
そんな大胡さんだったが、陶芸への想いは、ルーシー・リーの作品を実際に目にした瞬間から一変する。
「いままで私はデザインというものは平面の世界で表現してきました。これに対し、ルーシー・リーは立体の器に、それも高台の裏まで見事にデザイン表現されていました。」
イメージしていた既存のやきものにはない、洗練されたシャープな作品がそこにはあった。そして、ルーシー・リーの作品が持つ“器の佇まい”に心を動かされた。
ルーシー・リーも順風漫歩で歩んできたわけではなかった
これを機に、陶芸の世界に飛び込むことを決意!
瀬戸の窯業職業訓練校で1年間基礎を学び、友人の計らいで松本市内に窯を借りた。
予備校の事務アルバイトをしながら8年間、その後独立して7年、この松本の地で陶芸に身を費やした。
憧れのルーシー・リーも、毎日の食事がキャベツだけだったというように、芸術的にも経済的にも不遇の時代をすごした一人だ。彼女は著名な陶芸家バーナード・リーチと親交を深めるも、土窯の強い火で焼く日本の重厚なやきものに傾注していたリーチに、電気窯から生み出される軽い作品に厳しい評価を受けた時期もあった。
大胡さんが、リーチが好んだ重厚な、いわゆる「ザ・日本」というやきものに興味を示さなかったことは、ルーシー・リーが想い描いてきた芸術的センスと相容れるものがあるのかもしれない。
外国でも日常使用されるブロンズ釉のボウル
その後研鑽を積み、松本のクラフトフェアやカフェギャラリーでの展示等で徐々に実力が認められ、現在では活躍の場を広げている大胡さん。
作品としては、釉薬と土の縮小率の違いで生じるひびを上手く取り入れた、“貫入”と呼ばれる技術を活かしたものや、釉薬の色や質感を活かし表現したものが特長的だ。
また、ルーシー・リーは釉薬を原料から作り、独自の世界観を創り出した。これに対し、大胡さんも自ら調合したり、市販の釉薬をブレンドしたりと、釉薬にはこだわってきた。
なかでも、ブロンズ釉と呼ばれる、金属釉を用いた器は、土でありながら金属の風合いを醸しだしており、特に海外では人気が高い。
日本のオーナーさんがフランスのパリで経営する、抹茶カフェや日本食レストランでも、このブロンズ釉のボウルが採用され、その他の外国のカフェでも使われるようになった。

パリで実際に自ら制作したボウルが使われているところを体感した大胡さんは、次のステップに想いをはせる。
世界の人々に愛され使い続けられる器でありたい
「最近では、パリのアーティストやアメリカの料理コーディネーター、オーストラリアの陶芸家など、外国の方たちに使っていただける機会も増えました。言葉も文化も異なる世界の人たちが気に入ってくれるということは、自分の感性が受け入れられたということでもあり、すごく嬉しいし自信にもなります。」

また、この想いの内側にはこんな想いも宿っている。
「本当に大事だと想っているものを手元に残し使い続けて欲しいですね。そんな生活のひとつのアイテムとして、私の作った器も使っていただければ・・・。」
ここ数年、欧米では日本酒や抹茶が人気だと聞く。
「私が一番似合わなそうなニューヨークのカフェで、私が作った器でニューヨーカーがお茶しているとか、面白そう。」
世界で人々に愛され使い続けられている器でありたい。
壮大な夢が少しずつ近づいているのは確かだ。
作風やそのたたずまいにまで、憧れの念を抱いてきたルーシー・リー。
その憧れの想いを超えて、現実の世界で夢をつかんでいこうとしている大胡さんにこれからも注目していきたい。