酒の肴 ~佃煮のルーツを探ってみる~

 佃煮を語る前に、まずはそのルーツを探ってみたい。

 東京都の佃島が佃煮発祥の地と伝えられてはいるが、ルーツを紐解くと、その歴史は400年以上も前の戦国時代にまで遡る。






徳川家康は佃煮に救われた!?

 時代は一気に、1582年(天正10年)6月2日、織田信長が明智光秀の謀反により本能寺で倒れた歴史的な1日に。


 その2日後、徳川家康は堺の地で光秀の謀反を知ることになり、信長の盟友であった家康はわずかな手勢で身の危険を感じ狼狽する。三河の岡崎城への帰路の途上、現在の大阪市住吉区の神崎川にさしかかり、渡る船がなく足留めをくらう。


 このとき、近くの佃村(現在の大阪市西淀川区佃)の庄屋・森孫衛門は、手持ちの漁船と不漁のときのために備蓄していた小魚煮を、道中食として家康に用意したと言われている。




小魚の塩煮が佃煮の原型

 この小魚煮こそ、現在の佃煮のルーツである。

 佃煮の原型が、いわゆる形の崩れた売り物にならない、足の早い小魚を煮詰めて、保存食として備蓄した先人たちの知恵の結晶であったことは言うまでもない。


 現在の佃煮のように、醤油煮、甘露煮、椎茸や山椒と炊き合わせたものなど、美味なものでは決してなく、塩煮にした保存食としての機能を持たせたものと察することは出来る。




家康の裁量で造られたと言われる佃島

 しかし、命からがら逃げ帰った家康にとって、森孫衛門の心づくしの援護は、後世、江戸に佃島を形成するきっかけとなる出来事でもあった。


 大阪の佃村と東京の佃島は、家康の政治裁量でつながれていたのだ。この佃島から、大名の参勤交代で、全国各地に佃煮が広まったという説もあるが、定かではない。




日本の国土に必要不可欠であった佃煮

 しかし、日本は漁港から消費地にいちはやく生魚を運搬するには無理があり、不漁や天候の変化、越冬など悪条件も多い国土。


 海産物が豊富にとれ、山の幸にも恵まれているとはいえ、保存食としての佃煮がすみやかに全国に広まったことは決して不思議なことではない。



 先人の知恵の結晶であった佃煮は、その後の進化も含め奥は深い。



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